分限帳

古文書類の中で、まず分限帳から見てみましょう

分限帳とは、各藩が記録した自藩に所属する武士の名簿のようなものと考えて頂ければ良いかと思います。

県立図書館くらいになると大体所蔵されているはずですので、「ご先祖が武士であった」「武士であったかも知れない」という方は、是非調べてみて下さい。

ここでは一括りに分限帳と言ってますが、藩によって呼び名が異なってきますので、司書の方などに地元では何と呼ばれているかを確認して探した方が良いと思います。

例えば、当社の所在地である旧筑前国の黒田藩では、文字通り「分限帳」といいます。 また、お隣の肥後細川藩では「侍帳」、肥前鍋島藩では「着到帳」です。

長州藩のように、給領地を実際に貰っている武士を「分限帳」、土地ではなく藩から給料のような形で金銭等の給付を受けている武士を「無給帳」というように別々に記録しているところもあります。

下に、その「無給帳」の見本を載せてみました。

CIMG1803.JPG


CIMG1815.JPG

これは、天明3年(1783)に記録された長州藩の無給帳の抜粋です。
読み慣れていない方には難しいかも知れませんが、これから読み取れることは多く、とても貴重な情報源なのです。

まず、上の写真をご覧下さい。そこには2人の名前が記載されていますが、その左の方を見て下さい。「山本与一兵衛」という文字が読めますか? その横に嫡子として「半蔵」と書かれていますので、親子関係までハッキリします。

また、石高として、名前の右肩に「同四人高三石五斗」とあります。これにより単に名前だけでは無く、当時のご先祖の置かれた立場も読み取ることができます。
その横には、「天明三卯四拾五歳」とあります。天明3年(1783)当時45歳ということですので、おおよその生年までが判明します。

さらに、最後の行に朱墨で書かれている部分を読むと「四郎左衛門が72歳になったので隠居をした」というようなことが書かれています。
これからお父さんの名前は四郎左衛門であり、この時代からするとかなりの長命であったということまでが判明します。

この朱墨で書かれている部分は面白い記述が多く、ご先祖のいろいろな情報を手に入れることが出来ます。

長州藩の場合は、このようなものが数年おきに記録されており、山口県立文書館というところでしっかり保存されています。

これを幕末から江戸初期までのものを順々に辿っていくことで、初めに調べた除籍謄本と繋ぐと約400年前までの家系図が出来上がります。

単に名前だけの羅列ではなく、その他のいろいろな情報までが記録できる家系図が出来上がるというわけです。

問題は、文字の読み方ですが・・・ネット上で古文書の読み方教室みたいなものをしてみたいのですが、パソコンの技術が未熟で、画面上に一つ一つの文字を載せる方法が分かりません。
出来るようになったら、文字の解読について書いて見たいと思います。

※なお、禄高の低い藩士などの場合、図書館などにある分限帳に記載されていないこともあります。その藩の藩士だったと聞いていたのに記載がなかったという場合、学芸員さんなどに尋ねてみてください。マイクロフィルムなどに収められていることもあります。

CIMG1807.jpg

この写真のように、萩藩の無給帳だけでも電話帳ほどの厚さのものが数百冊あります。これらを1冊1冊読んでいくだけでもかなりの時間が必要となります。十分な時間を割いて来ないと、中途半端な調査で終わってしまいます。