除籍謄本の調査

家系図作成の第一歩は、どの家の場合でも除籍謄本による調査です。

除籍謄本による調査というとなんとなく難しそうですが、除籍謄本を取り寄せること自体はそれほど難しいものではありません。(取り寄せた謄本の情報を誤りなく読み取る作業は、慣れない方には結構大変だと思いますが)

とにかく、本籍地がある市町村の役所の市民課(役所によって呼び名が違う)の窓口で、「辿れるところまでの除籍謄本や改製原戸籍謄本を全て出して下さい」と言って下さい。たったそれだけで、約30分後には幕末頃に生まれたご先祖の名前やその他の事項を知ることができているはずです。

仕事の関係などで、役場が開いている時間帯には行けないという方は、少し面倒ですね。

代わりに行ってくれる方がおられるのなら代理人として行ってもらいましょう。代理人というのは、委任状さえ渡せば誰でもよいのです。家族でなくても、友人でも構いません。

なお、委任状の作成にあたっては、各市町村のホームページに委任状のフォームが添付されていることが多いので、それをダウンロードして使用する方が無難です。自分が申請する市町村のホームページを検索し、委任状のフォームが添付されていないか確かめてみてください。

問題になるのが本籍地が遠方にあるという方。
明治・大正期に都会に出たけど、本籍は動かしていないというケースはかなり多いようです。

このような場合は、郵便による請求が可能です。ただ、役場によって多少手続きが異なることがありますので、該当する役場に電話をして郵便による除籍謄本の請求方法を聞いてみて下さい。また、各市町村のホームページにも郵便による請求方法について書かれています。

ちなみに、手数料の支払は郵便小為替(郵便局で購入)を利用しますが、市町村の中には現金封筒でも構わないというところもあるようです。

父・祖父・曽祖父・高祖父・・・と、ずっと同じ場所に本籍がある方は、一箇所の役所で済みますが、本籍自体を転々とさせているようだと、転籍した先々のところの役場で請求しなければならないので、かなり厄介になります。

また、この場合、それぞれの謄本の記載事項から転籍前の前本籍地を読み取らなければなりません。さらに、昔の謄本であれば、現在とは地名も異なっているはずですので、現在のどの市町村の管轄になるのかも調べる必要があります。あまり慣れていない人にとっては、結構面倒な作業かも知れません。


除籍謄本の手数料は1部750円(一部異なるところもあるようです)です。平均4〜5部程度で幕末に生まれたご先祖の名前まで分かることが多いですから、必要金額は3000円〜4000円前後ということになりますね。もちろん、転籍を繰り返している場合は、必要部数も増えますので、さらに高額にならざるを得ません。

この程度の出費で150年前後、運が良ければ200年くらい前に生まれたご先祖のことが分かるのです。

ちなみに、私が見てきた数多くの除籍謄本の中で、最も古い方の生年は、なんと宝暦11年(1761)でした! 実に244年も遡れたことになります。

こんなに貴重な除籍謄本も、保存期間は僅かに80年
(平成22年6月1日から,戸籍法施行規則の一部改正が施行され,除籍謄本の保存期間は150年になりました!)

つまり、昭和初期に除籍された謄本もそろそろ破棄される運命にあるということです。家系の調査は、あせらずゆっくりすることは大切なことですが、この除籍謄本の取寄せだけは、出来るだけ早く済ませておくことをお勧めします。

ところで・・・本籍地をご存知ですか? 
本籍地くらい誰でも知っているはずと思っていたら大間違いです。しばしば住所地と本籍地を同じように考えている方を見かけます。
「本籍は頻繁に変わっているからねー」と言われて調べてみたら、変わっているのは住所だけで、本籍はずっと動いていなかった・・ということも珍しくありません。

まずは、自分の正しい本籍地を確認してみましょう!

除籍謄本で分かる範囲

役所の窓口の方に、「もうこれ以上古い除籍謄本は残っていません」と言われた段階で、手元に何通の謄本がありますか?

私の家の場合は、4通でした。
戸主が父のもの1通・祖父のもの2通・曽祖父のもの1通です。祖父の時に本籍が移転していますので、祖父のものだけは旧本籍地と転籍地とで各1通づつ必要になったのですが、転籍していなければ計3通で済んだことになります。

取寄せに必要な費用は、750円×4通=3000円。

最も古い除籍謄本の戸主は、曽祖父の「仁四郎」といい、嘉永6年(1853)の生まれとなっています。その仁四郎の欄に「茂作」次男と記されています。この茂作は当然私の高祖父ですから、この除籍で4代前までのご先祖が分かったことになります。茂作の生まれは、次男の仁四郎が1853年の生まれということから考えて、1820年代と思われます。

つまり、私の場合は、3000円の除籍謄本の調査だけで、約180年前まで辿れたことになります。費やした時間は、旧本籍所在地の役所への移動時間を入れても半日ほどです。
本籍地が変わらず、一カ所の役所で済む場合は、ほんの30分ほどで終了です。

しかし、最近は除籍謄本で分かる範囲が1世代は繰り上がってきたように思います。理由は、前に述べましたように、除籍謄本の保管期間の関係です。

除籍謄本の保存義務が80年間という決まりは、前からあったのですが、いわゆる”平成の大合併”によって多くの市町村が合併するに際し、除籍謄本の整理も加速されたのではないかと思います。
(平成22年6月1日から,戸籍法施行規則の一部改正が施行され,除籍謄本の保存期間は150年になりました。)

最近の例で、明治45年生まれの方が当主である除籍謄本までしか残っていないケースがありました。
この人は、ご依頼者(40歳代)の祖父に当たります。

その当主の欄には両親(つまり曽祖父母)の名前がありますが(名前だけ)、明治45年の方の両親ですから、せいぜい明治10〜20年くらいでしょう。

結局、除籍謄本で判明したのは、名前だけの曽祖父母を入れても約120年程度・・・ちょっと淋しいですね。

このように今後は、除籍謄本だけでは江戸期のご先祖が分からないという事例が増加していくことは必然的です。

もっと昔のご先祖も知っておきたい!という場合は、どのようにすればよいのか? いよいよ歴史の旅社の出番です!

次から、いよいよ除籍謄本で知り得る内容を超えた家系調査について述べていこうと思います。





とりあえず家系図に

除籍謄本を取れるところまで取り寄せ終わったら、まずは謄本に書かれた内容をまとめて家系図を作成してみましょう。

現在の戸籍は、”親と未婚の子”だけで編成されていますが、昔の戸籍は分家をしない限り、戸主夫婦とその子供だけではなく、戸主の父母や兄弟姉妹やそれらの配偶者・子供など、さらには叔父・叔母などの記載もあって、かなり複雑です。しかも毛筆による手書きですので、書いた人によっては非常に読み辛く、それで泣かされることも少なくありません。

名前や親子関係などの続柄を間違わないように、しっかりと読み取りましょう。 生没年や婚姻・入籍年なども一緒に書き込みます。 除籍謄本の調査は「基礎の基礎」とはいえ、それだけの内容をまとめた家系図でも、完成したものを見るとなかなかのものです。

ここまでの範囲の家系図でも、今後の調査を進めるにあったて役に立つことが多いのです。

例えば、菩提寺や現地の同姓の家などへの聞き取り調査を行う場合でも、これを持参することで”熱意”を認めてもらえて、協力を頂けることもあります。

ちなみに、下の写真は除籍謄本で判明した範囲内をワードで作ったものですが、これだけでも喜んで頂けたりもします。参考にされて下さい。
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過去帳の調査

よく家系図の調べ方について書かれた本などをみると、「お寺で過去帳を見せてもらいましょう!」・・・などと、気軽に書かれていることがあります。

しかし、人権問題や個人情報に関わることから、本部から過去帳閲覧に応じないように指示が出されている宗派もあり、最近ではお寺さん自体が見せることを拒否されるケースが増えてきています。いくら直系の親族であっても、同じ過去帳に他家の情報も一緒に記録されていますので問題になるのです。

有力な檀家さんでも断られることがありますので、めったに顔を出さないような方が突然訪ねて依頼された場合などは、より難しいものと思われます。

ただ、ご住職の人柄や考え方にもよりますので、思った以上にあっさり閲覧に応じて頂ける場合も珍しいことではありません。

万全を期すためには、ただ突然訪ねていくのではなく、お手紙等でご先祖を調べているのだという旨を事前にお知らせしてから訪ねてみた方がよいと思います。

また、訪問する前に除籍謄本や墓碑、その他の方法で調べたところまでを自分なりにまとめたものを持って行った方が、真剣さや熱意を理解して頂けるものです。

過去帳には、戒名(法名)・没年・俗名が書かれていますし、享年も載っている場合も多いです。没年と享年が分かれば、逆算して出生年も分かります。

その他の記載内容については、その当時のご住職の性格にもよりますので、同じ寺院の過去帳であっても、さらに詳しい情報を書かれていることもあれば、最小限のことしか書いていないこともあります。

戒名(法名)と没年だけで、続柄や享年どころか、18世紀前半以前になると俗名すら書かれていないこともあります。また、女性の場合、「〇〇母」とか「〇〇女房」など、当時の当主との続柄しか書かれていないことも少なくなく、せっかく過去帳を閲覧させて頂くことが出来ても、これだけでは決め手に欠けることもあります。

また、過去帳というのは、家々毎に書かれて綴られているのではなく、そのお寺の檀家全部の情報が載せられているものです。

さらに、多くの場合、没年毎に記録されたものではなく、亡くなった日毎に記録されているものです。そのため、たとえば天保3年4月1日に亡くなった佐藤太郎さんと、平成10年4月1日に亡くなった田中次郎さんが同じグループに入れられていることになります。(もちろん年代順に書かれている寺院もありますし、家毎にまとめておられる寺院もあります。)

さらに厄介なことに、江戸期の農工商には苗字がありませんから、下の名前だけしか書かれておらず、膨大な記録の中から自分のご先祖だけを探し出すというのは、非常に困難な作業となります。

このため、過去帳を閲覧させて頂く前に、除籍謄本や位牌・墓石などの調査を予め調べておくことをお勧めします。それらの情報と総合して判断することにより、過去帳だけでは分かり辛い部分も明らかにすることが出来ます。

旧土地台帳の調査

法務局で保管されている旧土地台帳も貴重な情報源です。

旧土地台帳とは、明治22年頃から昭和12年頃までに利用された、土地の所有者を登録するための台帳です。
最も古い台帳に記載されている方は、明治20年代初期の土地の所有者=その家の当主だった訳ですから、一般的に考えて幕末頃に生まれた人ということになるでしょう。

除籍謄本の保存期間の関係で、年々除籍謄本から得られる情報が少なくなってきています。場合によれば、旧土地台帳で除籍謄本に記載された方より前の時代のご先祖が分かることもあります。

閲覧は無料ですし、お願いすれば分厚い台帳そのものを持ってきてくれますので、該当する地番以外の土地の権利関係も確認することができます。ご先祖が、どのくらいの土地を所有していたかも分かりますので、同じ村の他の家の土地所有状況と比較することにより、当時の村内での立場や経済状況などをある程度推測することも可能かと思います。

また、周辺に同姓の家があるような場合、ついでにその土地の台帳も覗いてみると思い掛けない発見をすることもあるのです。

見たい土地が遠方の場合は、その土地を管轄する法務局に郵便で請求することもできます。
有り難いことに、複写についても手数料は掛かりません。

なお、ご先祖が土地を所有していなかったという場合は、この方法が生かされないのは勿論のことです。

※最近は、この旧土地台帳は行政文書であるため、”合理的な理由”がなければ交付出来ないという法務局が出てきました。そして、過去を辿るということは、この合理的な理由にはならないようです。なかなか面倒な時代になってきました。
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墓石の調査

家系調査で最も有力かつ確実な情報源は、この墓石調査です。

ただ、既に除籍謄本で分かっている範囲より以前のご先祖の情報がある墓石でないと意味がありません。

ご先祖のお墓に行ったら、まず墓誌を見てみましょう。
戒名(法名)・俗名・没年は、だいたいどこの墓石にも書かれています。他に享年や続柄が書かれていればラッキーです!なかには、家の由来や家訓のようなものや、辞世の句などが謳われている風流なものもあります。

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辞世の句が残されているもの


そこに、除籍で調査したご先祖より古い方の名前があればシメタものです!そのまま家系図に書き足していくことができます。

・・・ここまでは、簡単なことです。

現実には、上記のようなお墓をお持ちの方のほうが少数派だと思います。お墓ではなく、納骨堂という方も少なくありません。

私の依頼者の中には、ご自分の家の古いお墓がどこにあるのか分からないという方もおられました。また、お墓があったとしても、墓誌自体が置かれていなかったり、置かれていても明治以降の除籍で判明するご先祖の名前までしかなかったりという方が多数派のようです。

私の場合は、家系調査の依頼を受けると、すぐに墓石調査に出掛けます。墓誌に江戸期に亡くなられた方の名前があったり、古い墓石が並んでいたりするとホッとします。逆にその方が少数派であるという事でもあります。

では、江戸期に亡くなった方の名前が書かれていなかったら、そこで墓石調査を諦めるかといえば、そうではありません。

最も古い除籍謄本や言い伝え等から判断した、幕末以前に住んでいただろうと思われる地域周辺の古い墓石を探してみます。ちょっとした森の中や、裏山などに江戸期の墓石が忘れ去られていたように置かれていることがあります。

地域によっても差があるようですが、江戸期の墓石の大きさは、だいたい膝の高さから腰の高さくらいの比較的低いものが多いですね。

書かれている内容も、だいたい文化年間くらいまでは俗名もある場合が多いと思います。もっと古いものになると、戒名(法名)のみの方が多いようです。

具体的には、、正面に戒名(法名)・向かって右側面に没年・左側面に没月日と左隅に俗名という感じになります。

私は、単に家系図を作るだけでなく、このような忘れ去られた墓石を探すことにもかなりの努力を割くようにしています。

実際にこのような墓石を探して報告してあげますと大変喜ばれますし、すぐに家族でお参りにも行かれるようで、そのご先祖にも喜んで頂けているのではないかと思います。

特に夏場は、蚊・ヘビ・蜂・蜘蛛の巣等々との戦いでもありますし、徒労に帰す場合の方が多いのですが、やってみる価値はあると思います。

※墓石調査は、冬場が一番!





古い墓石の読み方

古い墓石が見つかったとしても、多くの場合石が風化したりして、解読が難しくなっています。(地方によっては、とても深く彫られていて、江戸初期の頃のものでもはっきり読めるものもありますが)

職業上、毎週のように墓石探しをしていますが、時々墓石の表面にチョークの跡を見かけることがあります。風化した石にチョークの粉を塗ることで見やすくできることもありますので、子孫のどなたかが解読しようと苦心されたのだと思います。

また、同じ墓石でも時間帯によって、見えなかったものが突然見えたりすることもあります。
これは主に太陽の方向によるものですので、朝・昼・夕方と時間を変えてチャレンジしてみましょう。

その日の天気によっても見え方が変わります。
あまり天気の良い日というのは、光が強すぎて読み辛いものですし、雨の日は石が濡れて晴れの日以上に読めません。
経験上、古い墓石を読むのに一番適した天気は、薄曇りの日ではないかと思います。

「墓石を読むことは、墓石と語ることだ!」

・・・と言われた郷土史家の方がおられました。けだし名言だと思います。

一度で諦めずに、時間帯を変え、日にちを変え、何度も何度も通ってみる。
それまで読めなかったものが、ある日突然浮かび上がってくる・・・私自身もこのような体験が珍しくないのです。

気の長い話ですが、是非チャレンジしてみて下さい!

墓地から読めること

「墓地から読めること」とは変なタイトルですが・・・

特に地方の昔からあるような共同墓地ですと、同じ姓の墓石がたくさん並んでいることがありますね。ほとんどが同族ということになるのでしょうが。

このような場合、墓地全体の中での自家の墓石の位置を見ることで、自分の家が本家的な立場にあるとか、どの程度本家に近いのかという同族の中の位置関係を読むことができます。

墓地といっても、山の斜面に沿ってあったり、寺や寺跡の共同墓地であったり様々ですね。

例えば、山の斜面に沿ってある場合、本家ほど山の高い部分にお墓があるはずです。

また、寺の裏にある墓地の場合、本堂に近い場所に本家のお墓がある場合が多いです。

寺跡(以前は本堂があったが今は墓地だけ残っているところ)にある墓地の場合、本堂との遠近が分かりませんのが、一般的にお日様の昇る東側に本家の墓石があるようです。

法務局に行って、墓地の所有者や地積図を確認してみることで、意外な情報に出会うこともあります。手数料が必要となりますが、調査が行き詰まっている時など、打開策を見つける糸口になることもあります。




神社での調査

神社での調査というのは、神道の家以外では、直接的に系図調査に役立つとは言い難いのですが、ご先祖が確かにその地に住んでいたという確認やその地における社会的・経済的立場を推測する上で役立ちます。

除籍謄本では、明治の頃にはこの辺に住んでいたということは分かりますが、はたして幕末以前にもそうだったのかという確信は持てません。
そこで、最も古い除籍謄本に記載されている本籍地周辺の神社を廻ってみます。

神社には各所に村人の名前が見受けられます。寄進碑や絵馬・寄付一覧等に自分のご先祖の名前を見つけ出せれば、確かにその時代にご先祖がそこに住んでいたという証になりますし、その地域での立場のようなものも推測できます。

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系図調査といっても、単に名前だけ調べても面白みに欠けます。神社では、ちょっとした想像を引き立てる材料が見つかるかも知れません。




郷土史研究

現地調査を行う前、又は並行して行っておきたいことが郷土史を調べることです。

それぞれの地元の図書館に行くと、「○○市史(誌)」「△△町史(誌)」という書籍が置かれています。

その中で、まずは幕末期に居住していた地域を含む最も行政範囲の狭い郷土史を選んでみて下さい。

郷土史は、まさしくその地だけの歴史を述べているものですから、貴重な情報が満載です。大庄屋・庄屋(名主)・組頭・百姓代等の村役クラスなら名前そのものが記載されたりしています。

この郷土史を読み、明治初期以前にご先祖が住んでいた地域の歴史を頭に入れておくことが重要です。

その地はその地なりの歴史的運命というものがあります。一軒一軒の家もその地の歴史の流れに大きく左右されるものですから、そこの歴史を学ぶ価値は高いのです。

郷土史を選ぶ時のポイントは、より狭い範囲の郷土史を選ぶ事です。
そのような郷土史の方がとても小さな事柄まで記述されていますので、村役クラスではない一般農民であっても記載されていることがしばしばあります。

逆に大きな行政単位に居住地がある場合は、ちょっと不利ですね。

私の場合は運の悪いことに(笑)100万都市である北九州市なのです。
図書館に行くと「北九州市史」がずらりと並んでいます。これだけ範囲が広いと、家系調査に直接繋がるような事柄は期待できません。

具体的にこのような場合にどうするかというと、北九州市になる前の旧5市時代に書かれた市史を見つけます。私の場合は「八幡市史」というものですが。

さらにその旧八幡市の中でのより小さな地域について書かれた物がないかを調べます。
この程度まで地域を絞っていくと、図書館の書棚に陳列されていない場合が多く、大体書庫に保管されています。

書庫に保管されていれば、いくら陳列の書棚を探しても見つかるはずがありませんので、図書館の方に相談してみましょう。協力的な方であれば、意外な掘り出し物を持ってきてくれたりします。

郷土史に関心の深い方が住んでおられた町・村などであれば、その方などが書かれた本当に小さな地域の町史・村史・地域史があったりします。
そのような文献では、江戸期の普通の農民の方についての事柄もどんどん出てきます。
是非、見つけてみて下さい!

また、明治初期以前にご先祖が住んでいた地域が遠方である場合について。
この場合は、現地調査に向かうにしても、交通費や宿泊費がばかになりませんし、仕事などで忙しい人にとっては、お金以上に時間を作ることが難しいという方もおられるでしょう。

このような場合は、最寄りの図書館で該当地域の郷土史を取り寄せてもらい、貸し出しをして自宅で読んでおくということをお勧めします。

一般的に、郷土史というのは1000ページ前後の分厚いものが多く、それも複数冊読む必要があります。それらを現地の図書館に行って読もうと思えば、それだけに1日以上は費やされてしまい、より多くの宿泊を重ねることになりかねません。

このため、予め読むべき郷土史を地元の図書館で取り寄せて読んでおき、現地に向かう際には「地元の方よりもその地の歴史には詳しい」という状況にしておくべきです。

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古文書研究総論

今まで述べてきた調査方法で、江戸中期以前にまで辿るというのは、一般的な家ではなかなか難しいと思います。

そこから先は、古文書類の研究だと思っています。
古文書類といっても種々のものがありますし、江戸期のご先祖の身分によっても対象が異なってきます。

例えば、分限帳(藩によって名称が異なる)・宗門改帳・田畠名寄帳・御水帳・坪付帳・御法帳・取立帳などなど・・・個々の事情によって数多くあります。

次から、それぞれの作成された目的や読み方などを写真を交えながら述べてまいります。

ただ、ここで最も大きな問題は、それらの古文書類がどこにあるかを探し当てられるかということです。

図書館・資料館・文書館・教育委員会・旧大庄屋宅などなど、どこが所蔵しているのか地域によって全く異なっており、決まったパターンというものがありません。

また、必ずしも地元にあるとも限りません。
例えば、私の地元福岡の調査に有益な古文書を東京の大学が持っていたということも珍しくないのです。

逆にいうと、先祖調査に有益な古文書をどこが所蔵しているのかを探せ当てたら、それで調査が終わったようなものなのです。


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分限帳

古文書類の中で、まず分限帳から見てみましょう

分限帳とは、各藩が記録した自藩に所属する武士の名簿のようなものと考えて頂ければ良いかと思います。

県立図書館くらいになると大体所蔵されているはずですので、「ご先祖が武士であった」「武士であったかも知れない」という方は、是非調べてみて下さい。

ここでは一括りに分限帳と言ってますが、藩によって呼び名が異なってきますので、司書の方などに地元では何と呼ばれているかを確認して探した方が良いと思います。

例えば、当社の所在地である旧筑前国の黒田藩では、文字通り「分限帳」といいます。 また、お隣の肥後細川藩では「侍帳」、肥前鍋島藩では「着到帳」です。

長州藩のように、給領地を実際に貰っている武士を「分限帳」、土地ではなく藩から給料のような形で金銭等の給付を受けている武士を「無給帳」というように別々に記録しているところもあります。

下に、その「無給帳」の見本を載せてみました。

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これは、天明3年(1783)に記録された長州藩の無給帳の抜粋です。
読み慣れていない方には難しいかも知れませんが、これから読み取れることは多く、とても貴重な情報源なのです。

まず、上の写真をご覧下さい。そこには2人の名前が記載されていますが、その左の方を見て下さい。「山本与一兵衛」という文字が読めますか? その横に嫡子として「半蔵」と書かれていますので、親子関係までハッキリします。

また、石高として、名前の右肩に「同四人高三石五斗」とあります。これにより単に名前だけでは無く、当時のご先祖の置かれた立場も読み取ることができます。
その横には、「天明三卯四拾五歳」とあります。天明3年(1783)当時45歳ということですので、おおよその生年までが判明します。

さらに、最後の行に朱墨で書かれている部分を読むと「四郎左衛門が72歳になったので隠居をした」というようなことが書かれています。
これからお父さんの名前は四郎左衛門であり、この時代からするとかなりの長命であったということまでが判明します。

この朱墨で書かれている部分は面白い記述が多く、ご先祖のいろいろな情報を手に入れることが出来ます。

長州藩の場合は、このようなものが数年おきに記録されており、山口県立文書館というところでしっかり保存されています。

これを幕末から江戸初期までのものを順々に辿っていくことで、初めに調べた除籍謄本と繋ぐと約400年前までの家系図が出来上がります。

単に名前だけの羅列ではなく、その他のいろいろな情報までが記録できる家系図が出来上がるというわけです。

問題は、文字の読み方ですが・・・ネット上で古文書の読み方教室みたいなものをしてみたいのですが、パソコンの技術が未熟で、画面上に一つ一つの文字を載せる方法が分かりません。
出来るようになったら、文字の解読について書いて見たいと思います。

※なお、禄高の低い藩士などの場合、図書館などにある分限帳に記載されていないこともあります。その藩の藩士だったと聞いていたのに記載がなかったという場合、学芸員さんなどに尋ねてみてください。マイクロフィルムなどに収められていることもあります。

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この写真のように、萩藩の無給帳だけでも電話帳ほどの厚さのものが数百冊あります。これらを1冊1冊読んでいくだけでもかなりの時間が必要となります。十分な時間を割いて来ないと、中途半端な調査で終わってしまいます。

宗門改帳など

分限帳は、確かに家系図を作るのに最も貴重な情報源のひとつなのですが、残念ながら少数派である武士の家のみに有効なものです。(一部商人や大工・村役などの記録もあったりしますが)

以下、人口の圧倒的多数を占める農・工・商の家にも有益な情報源となりうる古文書類をご紹介します。

まずは「宗門改帳」です。宗門改帳は、宗旨人別改帳・本百姓宗門改帳・切支丹宗門人別改帳などと、地方によって呼び方もいろいろ変わります。人馬牛改帳のように牛や馬の所有状況を記録されているものもあります。

当初は切支丹摘発を目的として作成されたものですが、次第に行政資料的な性格のものになってきました。

改帳は、村・町・組ごとの庄屋・町年寄・名主などによって作成され、地域内の宗派、寺院名の下に家族単位で名前と年齢や続柄が記入されていました。現代の戸籍のようなものですね。
下に、府内藩(現在の大分市周辺)の「切支丹宗門人別御改家内帳」(明治3年)の見本を載せてみます。

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これには、真宗(浄土真宗)安養寺の檀徒である家族が記録されています。
戸主が甚右衛門で、妻・娘・母・祖父の5人暮しであることが分かります。残念ながら、妻や母は名前が書かれていません。また、写真には載りませんでしたが、名前の下には年齢も載っていますので、大体の生年も判明するのです。

このような宗門改帳の作成は、最初は寺院の僧侶が行っていましたが、18世紀頃からは庄屋等の村役人が作成するようになりました。
徐々にキリシタンに対する脅威が薄れるようになると、形式的な調査になってきましたが、人別帳は毎年作られ、作高や家畜数も記される地域もあり、現代の戸籍のような役割を果たしていました。

ただ、どの地域でも残っているものではなく、むしろ残されている方が少ないものですので、県立図書館や教育委員会等で確かめて見て下さい。
また、地元の庄屋だった家がお持ちの場合もあります。
もし自分のご先祖の地域で見つかれば、非常に重要な情報源になります。



検地帳など

田畑名寄帳検地帳・水帳といった文書も探してみる価値の高いもののひとつです。

これらは、土地の所有関係を示すものですから、自分のご先祖がどの程度の田畑を所有していたかといったような経済的な状況等が推し量れる材料ともなります。

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この写真は、寛保2年(1742)の福岡県田川郡方城町の「御水帳」の一部です。
この資料によると、土地の肥沃度による格付け(上・中・下など)や面積・所有者等が分かります。

例えば、一列の内容には、「惣六」という者が「下田」ランクの田を「1町15歩」所有していることが読み取れます。

ただし、当然ながら苗字はありませんので、この資料から新たにご先祖を特定するのには不向きです。(字名が記載されていますので、昔から同じ土地に住んでいたというような事情があれば、推測は可能です)

他の方法でご先祖の名前が判明した後に、その人がどのような経済状況にあったのかということを知る材料としての価値は十分なものがあるのではないでしょうか。

絵図を探そう

江戸期の絵図が結構各地域に残されているものです。

たとえば、このような当時の現物のままを見ることが出来ます。
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拡大した画像↓
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また、下図のように現物を複写したものしか見られない場合もあります。
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これらの絵図は、今で言うところの住宅地図のように、当時の一戸一戸の当主の名が書かれていますので、先祖の名前だけではなく、当時どこに住んでいたのかということまで分かります。

このような絵図は、主な対象が城下町ですので、藩士や城下の商人・職人などを探すのに適しています。
ただ、地域によっては、村落部の各戸を示した絵図もありますので、ダメもとで探してみる価値はあります。

小字は歴史の証言者

大字小字とがありますが、大字とは明治期の合併によって消滅した江戸期よりの村々の名、区画をそのまま新自治体が引き継いだものです。

一方、小字とはその村々のなかの細かい集落や耕地を指す名称です。

小字とは、当時の農民が通称していた地区名が起源であったりもしますので、小字の名前の中にその地の歴史が垣間見えるということがあります。

例えば、古城址の周辺には「本陣」「殿屋敷」「府殿」などといった小字があり、その時代の絵図が浮かんできそうです。

また、当時の信仰の中心であった神社の位置関係から「宮前」「宮下」「宮上」といった小字名もあります。

日本人の苗字の8〜9割は地名からきているとも言われています。ちょっとマイナーで、一部の地域に偏在しているような苗字の場合、同名の小字を見つけることで、その一族の発祥地が推測出来ることもあります。

残念ながら小字は日本各地で住居表示などによって消えていっていますが、地域の古老の話や公共施設の名前などにその痕跡があったりします。

また、図書館にも旧小字名について記録された書籍もあります。
ちなみに、私の住む福岡県の場合は「福岡県史資料」(全12巻)に県内の小字名が記録されています。

同苗マップ

”同苗マップ”といってもそんな単語があるわけではありません。
電話帳と住宅地図(ゼンリン)を使って自分で作るのですが、私が勝手に同苗マップと呼んでいるだけです。

江戸期に住んでいた地域が特定できたら、電話帳でその周辺の同じ苗字の家を全て書き出します。その後、ゼンリンの住宅地図のコピー上に電話帳から書き出した家を全て朱筆し、さらに墓地の地図記号を探して印を付けておくだけのことです。

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上記のものは、ゼンリンではなく、明治期の古地図に同苗の分布状況を書き入れたものです。自分用ですから汚いですが。(クリックして拡大して見てみて下さい)

完成したものを眺めていると、同苗の分布の様子がよく分かります。
そして、同苗の家周辺の墓地から同苗且つ同家紋の家を探し出し、手紙を出すなどして情報の収集を行います。

同じ地域の同じ苗字と同じ家紋となれば、源が同じ可能性は大です。有力な手掛かりが得られるかも知れません。

ちなみに墓地の地図記号は、下記のピンクの線で囲まれているものです。

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手紙を出す

”同苗マップ”が出来たら、各家に手紙を出します。(直接訪問しても良いのかもしれませんが、迷惑になるかも知れませんので、私はまず手紙を出しています)

手紙には、自分が同じ地域の同苗のものである証拠として戸籍謄本のコピーを同封。また、記載人物と自分との関係が分かるように簡単な家系図(手書きでもよい)を作成して同封しておくと先方も信用してくれるでしょう。

この方法で親戚が見つかる可能性は高いです。

以下、手紙のサンプルです。

拝啓

突然お便りさせていただく失礼をお許し下さい。
私は苗字を○○といい、自分の先祖について調べているものです。

「自分が先祖に興味を持った理由を書く」

「今まで調べた情報を書く」

「教えて頂きたいことを列挙する」

古くからの言い伝えなど、ご存知の事がございましたら、同封の封書でご教示頂ければ幸いです。
<自分宛の封書を同封しておく>

なにぶんプライバシーに関わることでもありますので、無理は申しません。
突然の手紙で、誠に不躾なお願いを致しますことをお許しください。

末筆ではありますが、皆様のご健勝を衷心よりお祈り申し上げます。

敬具


このような内容のものをご自分でアレンジして実行してみて下さい。


家紋から考える

最近は、自分の家の家紋を知らないという方が増えてきています。私も、ご先祖調査に付随して、家紋も調べてお教えすることが多くなってきました。

”家紋でルーツが分かる”という本がありますが、一概にそうとは言い切れません。

お墓もそうですが、家紋についても支配者階級から一般庶民に広まっていくのは、江戸期の高度経済成長時代といわれている元禄の頃からです。

逆にいうと、祖先を探る情報として役に立つのは、それ以前から用いられていたと思われる家紋ということになります。

庶民に広まるにつれて、装飾に凝るようになってきたともいえますので、以前から用いられてきた家紋ほどシンプルなものが多いようです。だいいち、戦場で敵味方をはっきりさせるには、あまり装飾豊かなものは不向きでしょう。

また、家紋に”丸”が付くようになったのは、元禄期の天下泰平の時代の象徴ともいわれます。古くからの家紋には”丸”はなかったというわけです。

さらに、女紋として「揚羽紋」が伝わっている家が特に西日本地域には多いのですが、これは平家の女系の流れであることを示している場合が多いのです。

以上のようなことを注意して家紋を見ると面白いかもしれませんね。



聞き取り調査

現地での聞き取り調査というのは、常に有益な情報が得られるという訳ではありませんが、私自身の経験上、期待以上の成果が得られることが多いように思われます。

聞き取りの対象は、該当地区の旧家・郷土史家の方や地域のお年寄り・同姓の家・教育委員会や地区の公民館など、多岐に亘ります。特に、明治以降に本籍地を離れて、他の地域に分家しているような方にとっては、同姓(同紋)の家への聞き取りが良い結果を生み出す場合が多いと思います。

とりわけ、昔からの集落が残っているような地域では、思った以上に昔の情報が得られるものですので、是非行ってみるべきです。

また、上記に示した教育委員会や地区の公民館などでは、古文書がどこに保存されているかという情報を得られる可能性があります。宗門人別帳などの古文書類は、いつも都合良く図書館や歴史資料館などにあるとは限らないものです。公的機関に限らず、旧庄屋家や組頭家などの旧家の方がお持ちの場合もありますが、それらの情報は積極的に情報収集して回らなければ得られないものです。


言い伝え

調査依頼を受ける際に、依頼者の方と1〜2時間ほどのお話を致します。
その時によく父母・祖父母等から聞いていたと言って、祖先の話をされます。いわゆる「言い伝え」というやつですね。

この「言い伝え」というのは、調査に良いヒントになることもありますが、これで振り回されることが多いのです。

祖先についての「言い伝え」には事実と異なることが多く、当初その線で調査を進めていたら、結局回り道になって時間の浪費となったりします。

「江戸時代には馬に乗って城に行っていたらしい」とか「寺子屋をしていた」などなど・・
調査を終えて最終報告をする時に、ご本人がずっと信じていたものと異なる報告をするのは気が重いことですし、本人も目の前でがっかりされると心が痛みます。

やっぱり、祖先のことについては、子や孫にも良い格好をしたくなるのかなと思ったりしています。(実は、私の家もそうでしたので・・)

宮座資料

宮座とは、在俗の村人(氏子)による神社の祭祀組織であり、とくにその祭礼のための役割を分担する組織と考えるとよいでしょう。祭礼以外にも神社経営やその営繕までをも行います。

宮座という組織は極めて排他的で、限られた血筋を持つものだけが入会を許されていました。血筋がよければ貧しくとも座に参加できますが、村一番の分限者であっても血筋が悪ければ座に参加する事はできませんでした。

この宮座の資料が残っていることがあります。
席順であったり、役割の分担を記録したものであったりしますが、有難いことにこのような資料の名前の欄には苗字が書かれているのです(地方によっては違うかも知れません)。宗門帳や検地帳などには苗字がなく、ご先祖の特定に困ることがありますが、この宮座資料はこの点、大いに助かります。

上述のように、村の中の一部の家に過ぎませんが、対象となっている可能性が高い場合、調べてみる価値はあると思います。

諸家文書

都道府県立などの大きな図書館などには、たいていその都道府県内の主な家の系譜が書かれている「諸家文書」なるものがあります。

主な家だから自分のところには関係なかろうと思わずに、念の為に同姓の家の文書について、ちょっと目録だけでもめくってみることをお勧めします。

主な家といっても、かなり多くの家について記録されていることもあり、今現在関係がなさそうと思われるものでも、よくよく調べてみると江戸期の途中のある時期から分かれた家であったということも稀ではありません。