調査日記

このサイトで述べている調査方法は、あくまでも総論的なことです。
これらの調査方法がぴったり当てはまる家は多くはないのではないかと思います。

それだけその家のおかれた状況(江戸期の身分・経済的立場・所属していた地域の状況・文書の保存状況・過去帳や墓の現存状況などなど)によって、調査の仕方は千差万別なのです。

時にはこのサイトを訪問頂いた方から質問を頂くことがあります。ご自分で調査をしていて行き詰っているという方々です。

せっかくご質問頂いたのだから、出来るだけ有意義な回答をしたいのですが、なかなか自分で納得できるアドバイスには至りません。

それは、私の商売に繋がらないというケチな発想からではなく、私自身である程度やってみないと”その家”の調査方針が立てられないからなのです。

現実に、私が家系調査の依頼を受けて最初にすることは、約2週間から1カ月程度の期間を掛けて、大まかな現地調査とその地域に関わる文書の濫読なのです。

その作業の中から、大枠で調査の方向を決めてから詳細な調査に入ります。

それらの事を全ての家に通用するような項目に分類して文書にすることは難しいので、日々の調査活動を日記風に綴ることで、「各論」的な説明に替えられたらいいかなと思います。

どこかでご自分の家の調査の参考になる記述が出てくるかも知れませんよ。




2006年2月4日

新たに調査の依頼を受けたものがあります。

熊本市在住のYさん50代の男性。
ご依頼頂いたのは「江戸初期調査」という約400年前までを目標とする調査です。
(他に江戸後期までの調査を目標とする「基本調査」と、最も困難な室町期以前を目標とする「徹底調査」があるのですが)

調査をお受けするに当たって、諸々の質問をさせて頂きます。
本籍・菩提寺・墓地・宗派・家紋・その他言い伝えなどです。それらの情報については、勿論多ければ多いほど有り難いのですが、今回のYさんが分かっているものがとても少ないのです。

分かっているものは、本籍と父親の墓石の場所のみ。その他は全く分からないとのこと。
なんでも、子供の頃に父親が亡くなられたので、父方の親戚との付き合いがなく、墓地だけしか分からないとのこと。(それも広島県と遠いのですが・・・)

僅かこれだけの材料で、約400年を遡っていくことになります。
目標とする調査期間は、6カ月間です。

早速、週明けの月曜日に熊本市役所で戸籍・除籍謄本を取ることにします。

こらからこのYさんの調査過程をリアルタイムで記していこうと思います。(もちろん、ご本人の了解済み)




2006年2月8日

前回から熊本市のYさんの調査をスタートさせています。
ご本人から入手できた情報は「本籍」と「父親の墓の場所」のみという頼りない状況です。

ここから、江戸初期まで400年間のご先祖の調査だけでなく、家紋や祖父以前の墓の場所等を教えて差し上げられればと思っています。

まず、熊本市役所でご本人の戸籍謄本を取ってみたところ、山口県防府市から婚姻時に現本籍地を新戸籍地としたことが分かりました。

早速、防府市役所に飛び、取れるところまでの除籍謄本を取寄せたところ、残念ながら明治6年生まれの祖父が戸主のものまでしかありませんでした。
また、その祖父は次男であり、明治中期に兄の戸籍から分家しています。

この除籍謄本で判明することは、祖父までの詳細とその兄及び父親(曽祖父)の名前だけです。明治6年生まれの人の父親ですから、1840年代の生まれの方くらいでしょうか。
除籍謄本で分かる範囲もだんだんと狭くなってきましたむかっ(怒り)

ただ、少なくても幕末時には現防府市内に住んでいたことがはっきりしましたので、当面はこの地で調査を展開することになります。

2006年2月10日

除籍謄本の調査が終わった後は、幕末に確かにその地に住んでいたという再確認を行います。

今回の確認の方法は、「神社」です。

まず、最も古い除籍謄本に記載されている本籍地の周辺の神社を探し、その境内にある寄進碑の類に彫られている多くの名前の中に、ご先祖の名前がないかを探します。

3軒目の「江泊神社」というところで、目的の曽祖父の名前を見つけることが出来ました。
これで、確かにこの地に住んでいたことが証明されたというわけです。

次に、現地の図書館(防府市立図書館)で、NTTの電話帳とゼンリン地図とで、同じ地域の同姓の家の住所を調べ、ゼンリンのコピー上に朱筆していきます。
また、その周辺にある墓地や寺院の場所も地図上で確認。

辛いことにこの方は、祖父以上の墓石の場所をご存知ないわけですから、私の方で探して差し上げなければなりません。また、墓石を見つけたら、家紋も確認して写真を撮って来なければならないのです。(家紋もご存知ないので)

この段階で、図書館でする事はこれだけではありません。

江戸期の身分も分かっていません。万一、武士だったらいけませんので、分限帳で確認します。
山口県の大半は、長州毛利家の支配地ですが、この防府市というのは、毛利氏の一門である「右田毛利氏」の支配地でありました。

そのため、右田毛利氏の幕末の分限帳にてY姓を探したところ、3軒ありました。今の段階では、その頃に生まれたと推定される曽祖父の名前しか判明していませんので、一世代違いますが、念のため記録しておきました。

次に、この地の大体の歴史的背景を把握しておくために、「防府市史」を始めとした郷土誌に目を通します。

これだけのことをしておいてから、現地に戻って「墓石調査」に入ります。

2006年2月11日

さて、いよいよ墓石調査となるわけですが、今回は厄介なことに墓石がどこにあるのか全く分かりません。探そうとしているこの防府市内に無いかも知れないという状況下で探すというものも精神的に辛いものです。

あらかじめゼンリンで調べた地図によると、当該地域に3カ所の墓地(寺院内を含む)がありました。地道に一箇所一箇所を歩いて探すしかありません。

1番目の墓地は、寺院の裏山一帯に広がっていました。山の裾野から頂上までビッシリ並んでいるので、墓石調査というよりも「登山」です。

ヘトヘトになって探した結果は、収穫無しもうやだ〜(悲しい顔)

2番目は住宅街の一角にある墓地で、約100基前後はあるかなという広さ。これも収穫無し。

3番目は丘の上にあるかなり大規模な霊園。ここでようやくYさんと同姓の墓を2基発見。
しかし、ここの墓にはいわゆる「墓誌」が置かれてないのです。せっかく同姓の墓を見つけても、同家のものか否かが確定できないのです。(地域によって異なりますが、私がよく調査する福岡や大分・佐賀等の地域は「墓誌」があるのが普通です)

取り敢えず、この2基の家紋や墓石の裏にある建立者の名前や建立年月日等を記録して終了。

これだけで1日が潰れました。
家系調査って、実に泥臭い地道な作業です。やったことの1割くらいしか役立たない・・・言い換えれば、ほとんど無駄な行動になることを覚悟してやらないといけないのです。

特に、今回のように何にも手掛かりのない家の調査は辛いものがあります。

次の調査は、該当地域の同姓の家々の聞き込み調査です。

2006年3月3日

2月11日の日記以来サボっていましたが、その間は該当地域の同姓の方々へ「手紙」を出して、その返事を待っていました。
手紙の内容は、当サイトの「手紙を出す」という項目に載せているサンプルのような内容です。

その内の一軒からようやく返事がきました。
私の依頼者と親戚筋になることが分かりましたが、その方も明治初期に分家した系統の流れであり、本家についての情報は持っていません。逆に分かったら教えてくれという始末で、何の進展もない3週間でした。

本当に何のヒントもない家系です。

これからの調査は、この防府市に限らず山口県全域に範囲を拡げる必要がありそうです。

2006年3月23日

調査過程を日記風にしていこうとして、重要なことに気付きました。
調査が毎日進展するわけではないということです。しばらく何も進まないということもあります。

熊本のY氏の調査は、3月3日の日記以来何も書いていませんが、書くべきものが出てこなかったということです。

他にも数軒の調査はやっているのですが、この日記の中で取り上げてよいと承認を頂いた方がY氏だけですので、この方の調査に特段の進展が見られなければ、日記もお休みということになります。

ところが、昨日、やっと大きな進展がありました!

なんとこのY家は、萩毛利藩の藩士だったのです。
もともと幕末期に現防府市におられたので、仮に武士だったとしても右田毛利家の家来だろうと思い込み、右田毛利家の分限帳だけを確認しただけで終えていたのが失敗でした。

その分限帳になかったので、農民だったんだろうと、その方面の調査をしていました。調査にあたって先入観を持たないようにしていましたが、ちょっと油断してしまい、基本を怠ってしまっていました。

では、なぜ萩毛利藩の藩士だったの判明したかというと、昨日、下関市立図書館にて、別家の調査で萩藩の分限帳を調べていて、念のためにY家の欄を見てみようかという気になって調べて分かったのです。

萩藩の分限帳は、都合の良いことに、その時代の当主の名前の横に嫡子の名前が併記されているのです。さらに、書かれた当時の年齢まで記載されています。

そこで、最後に作成された「明治3年」の分限帳をみると、除籍謄本や神社の石碑に残されていた名前が確認できたのです。当主も嫡子も同じですし、年代も一致しています。間違いなく、私が調査中のY氏の流れで間違いないでしょう。

ここまでくれば、1600年代までの調査は難しくありません。
山口県立文書館に当時の分限帳が数年置きに、そのまま江戸初期まで保存されています。

古文書ですから読むのが大変ですし、それが数百冊もありますから、かなりの労力を要しますが、確実に分かりますので精神的には楽です。

今後の進展は、徐々に日記にしていきます。


2006年3月25日

早速、山口県の文書館にやってきました。文書館といっても、県立図書館の一画にあるのですが。

分限帳を調べるといっても、書棚に並べられているわけではありません。全て書庫にありますから、例えば「天保5〜8年のものを見たい」などと、具体的に指定して、係りの方に出して頂かないといけません。

これが結構面倒なのです。貴重なものですから、まとめて出しては貰えないのです。ひとつひとつ時代を指定しながら、小刻みに出して頂き、読み終えたら次の時代のものを請求するという感じです。

CIMG1807.JPG

貴重な古文書です。読む前には手を消毒しなければいけません。


一度にこの写真程度の冊数を出して貰って、読み終えたら次のものに交換して頂くという進め方です。私はだいたい5〜10年間隔で出してもらいますので、最新の明治3年分限帳から慶長期の分限帳に辿り着くのに、30回程度出し入れをすることになります。係りの方には、面倒な奴がやって来たと思われているだろうな〜と遠慮気味にはしているのですが・・・。

この分限帳に書かれている内容は次のようなものです。↓

CIMG1818.JPG

文書が痛むのでコピーは禁止。写真撮影は許されます。


このようなものを数百冊読んでいくわけですから、当然1日では終わりません。
福岡の私の自宅からこの山口の文書館まで、高速道路を利用しても片道3時間弱掛かります。
また、高速料とガソリン代だけでも1万数千円は飛んでしまいますから、経費もばかになりません。もたもたしていると私の”利益”がその分減るというわけですから、開館から閉館までほとんど閉じこもり状態。
閉館時間になると、目は充血、肩や背中は鉄板状態というありさまです。

とりあえず、今回は1700年くらいまで辿ることができました。依頼者ご本人から数えて、9代までです。もともと萩におられたのが、5代前の方が藩命で防府に移り、そこで明治を迎えてそのまま定住したということが分かりました。防府を調べても、何も出てこなかった訳です。

調査目標の江戸初期までは、今回は時間切れで無理でしたので、次回に持ち越しです。


2006年4月1日

再度山口県の文書館に行き、分限帳調べの続きを行いました。

前回の調査では、1700年頃まで調べていましたので、そのまま江戸初期まで一代一代を溯っていきました。前回の段階で9代まで判明していましたが、さらに3代が加わり、計12代でご依頼頂いていた江戸初期までの調査が完了いたしました。

分限帳には、当主の名前だけではなく、記録された当時の年齢も記載されていますので、何年に生まれたのかも分かります。また、それ以外の情報(何年何月何日に病死したとか、途中で加増があったとか)も記載されていますので、それらも家系図に書き込むことができます。

通常であれば、ここで調査は終わりなのですが、この方の場合は「家紋」や「祖先の墓」も調べてあげる必要があります。

次回、萩市内に行き、Y氏のご先祖の墓石探しをします。(調査とは別に、料金をもらっているわけでは無いので、はっきり言ってこれは余分な出費です!)


2006年4月15日

前回の調査日記から2週間も経ってしまいました。

続いておりましたY氏の調査は、萩市に行ってY氏のご先祖の古い墓を探し、家紋を確認して、完了しました。

墓というのは、地方によっていろいろ特色があるのですが、萩の墓はとても文字の彫りが深いのが特徴です。そのため、1700年代の墓石の文字も比較的容易に読み取ることが出来ます。

逆に、私の地元の北九州周辺は比較的彫が浅いものが多く、古い墓石を読み取るのが大変です。

結局、江戸初期までの約400年間の調査が、2カ月ちょっとで終わりました。 ”分かっているものは、本籍と父親の墓石の場所のみ”・・・という状況からのスタートですから、まあまあのスピードかなと自己満足しています。

ご依頼頂いたY氏ご本人も、最初は半信半疑だったらしく、とても喜んで頂けました。

全12代のご先祖だけでなく、江戸期の墓や家紋も写真にてお伝えすることができましたし、4代前の戊辰戦争で戦死された方の墓が、下関市の「東行庵」という高杉晋作ゆかりの地に祀られていることもお知らせ出来ました。

これから巻物作成に入り、約2カ月後の完成ということになります。

次回から、新しい依頼者の調査日記になります。

2006年4月16日

新たに調査依頼を受けたものがあります。

80歳代の男性からのちょっと変わった依頼なのです。
なんでも、その方のおばあちゃんから、「自分の家は江戸時代の前にはあるお城の城主だったけど、豊後の戦国大名である大友宗麟から攻められて帰農し、以後ずっと農民として生きてきた」というものです。

若い頃は別になんとも思っていなかったけど、歳を取ってから本当のことを知りたくなり、自分で調べようとしたけども、どう調べたら良いのか分からずに困っていたところ、たまたま貴社の広告(新聞に出していたのですが)を見て依頼をしようと思ったとのこと。

家系図を調べるという仕事は、その存在そのものを知らない方が多く、より多くの方々に知っていただく必要があるのですが・・・

ご本人の希望を叶えるには、1500年代までの調査をする必要があり、弊社が設定する「徹底調査」という最も高額なコースになるのですが、個人的な興味もあったので、「江戸初期」の金額を頂いてお受けすることにしました。

仮に、北九州のS氏ということにします。今後は、このS氏の調査の過程についての調査日記を記していこうと思います。

ご依頼の時点で分かっていることは、除籍謄本を全部取り寄せておられたので、幕末のご先祖までです。

2006年4月22日

戦国期に豊前国のある地域の城主だったという言い伝えを持つS氏。さらに、幕末頃は寺子屋もしていたとおばあさんが言われていたとか。

まず、ご本人が取寄せられていた除籍謄本をお借りして、幕末の方までの家系図を作ります。

最も古い除籍謄本の当主は安政6年(1859)生まれの祖父の方とその父親(曾祖父)の名前まで。ご本人が80歳を超えておられることもあってか、除籍謄本で判明したのは、わずかに4代(本人含む)まで。
本当に最近は除籍謄本だけではたいして遡れなくなりました。

ご本人が言われるには、この4代前の曽祖父の方が分家されて現在に続いているとのことで、そこまでの過去帳があるとのこと。早速見せて頂いたら、確かに曽祖父の方が記されていました。これで没年と享年が分かりましたので、生年を計算。結局、文政11年(1828)の生まれというのが分かりました。

次にすべきことは墓石調査なのですが、この方の家の場合は納骨堂だということで、ご本家の墓に直行することにしました。

除籍謄本で分家前の本籍地を探し、図書館のゼンリンの住宅地図でその周辺の墓地の記号を見付けだします。その後、地図を頼りに周辺を歩いているとあっという間にご本家の墓地を見つけまして、早速「墓誌」に目を通します。

墓誌には10名程の名前が彫ってあり、最初にある方は戒名と没年のみ彫られていました。明治3年が没年ということで、明治20年に亡くなられた曽祖父のお父さんである可能性が高いのですが、この墓誌だけでは確証がありません。

一応、戒名と没年月日とをメモし、周辺をうろついていると、その裏手に数基の古い墓石を発見しました。

膝の高さほどもない小さなものでしたが、全てぴったり隙間なく建てられており、側面に彫られた文字を読み取ることができません。

だいたい、江戸期の墓石は正面に戒名、向かって右側面に没年、左側面に没月日があり、左隅に俗名が彫ってあるものです。その両サイドがくっついて見えないというのは、実に悔しいものです。

この墓地の近くには今でも本家があるのですが、互いに仲が悪いため、私も訪ねていくことができません。

結局、今日1日で分かったことは、曽祖父までと高祖父らしき方の名前と没年までです。

2006年4月23日

1日目の調査で曽祖父と高祖父らしき人の名前まで判明したS氏の調査の続きです。

除籍謄本→過去帳→本家の墓石調査の続きは、周辺の神社の調査です。
ところがある事情により(事情を書いてしまうと地域が特定してしまうのでここでは書けませんが)、昔は数ヶ所有ったはずの神社が今は一カ所しかありません。
その神社に行ったところ、まったく荒れ果てており、なんの手掛かりもありませんでした。

次に行うことは、北九州市立図書館でのその地域関連の「郷土史」を読むことです。

調査方法の手順の「郷土史を読む」欄にも書きましたが、同じ郷土史でも大きな都市の郷土史はほとんど参考にはなりません。北九州市内のマイナーな地域の記述についてなど、「北九州市史」という大きな市史にはほとんど記述がされていません。

先祖調査に役立つのは、より小さな地域に絞られた郷土史です。「〜村史」などといったもともと小さな共同体の郷土史ならそのまま役に立つ情報もありますが、北九州市程度の地域について調べるなら、その中でさらに狭い地域についての郷土史を探してみましょう!

幸いなことに今回は、目的の地域周辺についてだけの郷土史が全5巻も存在していました。さらにラッキーなことには、全て貸し出しOKのものばかり。

通常、郷土史関係は貸し出し不可のものが多く、図書館の開館時間内までしか読めないものが多いのです。時間内で読めなければ再度来なければ行けないので厄介なのです。

今回は、その5冊全て貸し出しをしてもらって帰宅。自宅でゆっくり読んで、その地域の歴史を頭に入れていきます。

やはり調査日記は難しい・・・

調査日記の記述については、モデルとなる方の了解を得て書いておりましたが、たとえ実名を伏せて書いても、プライバシーに全く触れずに続けていくことは難しいようです。

この部分を参考に読んで頂いた方もおられるようですが、調査日記は中止にしようと思います。